ウェブと生命

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※兵庫県の日本海側で見れるかえる岩


インターネットいうものは、生命がこれまで繰り返してきたことの模倣のような気がしてきました。

というのは、あまりにも生命活動とPC、人間が存在する場所とインターネットというものが似すぎているからです。

人間は、これまで繰り返してきた生命とはなんであるか、という問いの答えを、知らず知らずのうちに、インターネットという小さな世界に築き上げているのではないのか

と思うのです。

その最たる要素といえば、ウィルスがあげられます。


生命におけるウィルスとは、とても小さく、自ら一切の代謝は行いません。

しかし、自分を複製するための遺伝子ソースコード、つまりはDNAを、生物に埋め込むことができます。

そして、ウィルスにDNAを埋め込まれた生物は、自身のDNAであると勘違いし、そのコードを実行してしまいます。

そして、生物の中に、大量のウィルスが発生してしまい、細胞膜を破壊して、体内に飛び出します。

飛び出したウィルスは、さらに自己を複製しながら、独自の割り当てられた悪さをするんですよね。

この現象と、PCがウィルスに感染することって、本当に似ていますよね。

さらにはDNAについてもそうです。

DNAは塩基配列をとっていて、用いる文字数は4つです。

その4つの文字の内3つの組み合わせから、一つのたんぱく質文字を形成するとすれば、

4×4×4=64

64通りの文字を作ることができますよね。

つまり、これはすでアルファベットの文字数も超えているため、様々なコードをあらわすことができると考えられます。

このようにして、実際の文字数は4つしかないのですが、その文字で新たな意味での文字を作ると考えると、無限の可能性が考えられます。

当時では、DNAが遺伝子のコードであるなんて、考えることができませんでした。

だって、文字が4しかないんですからね。

しかし、上記のように考えることで、4つの文字でも、その組み合わせによって、様々なコードを書ける可能性が考えられますよね。

さらに、現代の人だと、これと似た仕組みを扱っているものが身近にあることが容易に思いつくことができます。

0と1だけで、全てを表しているもの、

PCです。

このように、ウェブと生命というものは、仕組み的にすごく類似しているところが見受けられます。

DNAとプログラムなどもそうです。

このように考えると、やはり人間は、新たな生命を自らの手で作り出そうとしているのではないか、と考えてしまうのです。

つまり、生命科学を考えることが、今後のインターネットを考えることにリンクしていくのではないか、とも考えてもしまうのです。