※春に行った舞鶴の赤レンガ建築物
中学生の頃に、仲のよかった友人から、
「君は、ものを考えて話す能力がすごく高い。けど、知識が人より少ない。僕と逆だね。けど、知識は簡単に増やすことができるから、君が知識を身につけたら、かなわないだろうな。」
と言われたことがある。
彼とは、毎日のように、何かについて議論をしていたような記憶がある。
彼は、知識があり、語彙も多いために、否定したくても否定すことができずに終わった議論もあった。
僕は、彼の言葉をよく思い出す。
だから、今では、自分の好きな分野に関しては、本当に本を読み、知識をつけることに貪欲になったように思う。
彼の言葉があったからだと思っている。
ここで、誤った主張をしてしまった議論を紹介する。
少し前に、仲のよい後輩と軽く議論をしていた。
後輩は、「医者には文系の人のほうが向いている、なぜなら、文系を選択する際に、覚えることが得意という理由で、選択することが多いからだ。しかも、医者の知り合いがそのように言っていた。」
といった。
しかし僕は、「そもそも文系の人ってなんなの?」と言った。
そして、次の言葉を言う前に、これを言うと嫌な気持ちになるだろうなと思ったから、言うのをやめたことを覚えている。
その後後輩は、「その辺の考え方は人それぞれでいいんじゃないか?」といって、その議論は終わった。
ここで、僕が言おうとしてやめた言葉は、
「人それぞれが解釈できる言葉を、一般的に『医者は文系が向いている』のように、使うのはおかしいし、仮に医者がそういっていたとしてもその発言は間違っている。それを言うなら、意味するところは、確実性はどうあれ、『理論的に考えられる人より、記憶力が強い人の方が医者に向いている』ということじゃないのか?つまり、『医者は文系が向いている』という主張は誤っている。」
ということだった。
これは、議論の場でいう、典型的な間違った主張を指していて、単純なデータ観察に基づく主張といえる。
彼が、『記憶力の強い人=文系を選ぶ』と考えているのは、完全に自らの主観のみで、その言葉は事実誤認に近いといえる。
議論の前提条件として、ここが崩れている場合は、ほぼその主張は間違えていると言える。
また、「医者が言ったから正当性がある」といような主張も、属人論法という典型的な詭弁といえる。
本当の議論は、曖昧な主張を訂正した上での、「医者には論理的思考より記憶力が重要か」という話をしなければならなかったように思う。
自戒の意味も込めて、一般的な議題に対する議論をする場合は、単純なデータ観察に基づく主張をしないように注意したいと思う。