・・・・難しい、ですよね。
そもそも、
法律ってものが、実体のある人間を保護し世界に安定をもたらすために作られてきている
のに対して、ウェブっていうのは実体のない情報の集合体。
このウェブの中に法律ってものを作り、様々な情報を(それなりに平等に)保護していく、ということ自体が難しい。
どうしたもんだか。
個人には表現の自由がある。
それを正に体現し、現実にしたのがウェブだと思う。
しかし、そのウェブには実体が無い、全てが情報なんですよね。
そして、それらの情報はどんどん集まっていき、インターネットという1つの思想・知性・生命と近い存在になってきている。
つまり、
インターネットっていうのは、人間による群集の叡智であって、インターネットでありながら、その本質は人間という存在をそのまま鏡によって映し出したようなものだ
と思うんです。
当然鏡に写ったからといって、実在するものが二つに増えるわけじゃない。
それは、人間でありながら人間を表現した情報だということなんですよね。
だから、その存在に対して、実在する人間に対する法律をそのまま適応させていこう、ということ自体が無理があることだと思うのです。
同じでありながら、全く別物なんですよね。
なんというか、本質は人間でありながら情報として存在しているインターネット、この存在を支配しようと思うのであれば、一から作る必要がありますよね、きっと。
しかし、人間はウェブに現実以上の自由を求めている、にも関わらず、人間はウェブに現実と同じ規制をも求めている。
この矛盾をどうにかしないことには、どっち付かずのつまらないものになると思います。
本当にどうにかしたいのであれば、人間を信じるのしかないんだと思ったりもします。
車が法定速度を上回ることが可能な車を販売しているのと同じように。
引き金を引くだけで人を殺すことができる銃が世の中に存在するのと同じように。
人を殺すことなんて簡単な刃物や道具が世の中に蔓延しているのと同じように。
なにか、ウェブにおいても、著作権や情報に対して、そういった「法による人間への信頼」というものをどうするか考えない限り、解決には至らない気がします。
今のままでいくと、きっとウェブは完全に人間に規制され、現実世界以上に何かができる、という世界にはならないように思います。
本当につまらないものになる。
これからのウェブの世界は、生まれながらにしてウェブの世界と現実世界両方に産み落とされた1990年代の人たちにかかっているような気がします。
そして、その若者に道を推し進めることができるのは、今の20台の人たちだと考えています。
このインターネットの波乱の時代に、大学時代に毎日毎日ウェブを徘徊することに明け暮れた人たち。
あ、
僕も含まれていますね。
がんばります。
ところで、精霊の守り人見ました。
かなり面白かったです。