WEB2.0って

結局のところ、特に意味はないんですよね。

ただただバージョンを上げてよんでもいいんじゃないか、というくらいウェブが進化してきていることを示しているだけで。

この言葉に何か深い意味というか、こだわりを持つこと自体が間違っていて、単にウェブを人間がそろそろ2.0と読んでいいかなって思いだしたってことです。

人間が自分の子供達を、ある日を境に、「大人になったね」と呼ぶようなものですよね。
そこに、何かしらの具体的な意味を求めることは、間違っている気がするのです。

賛成するにしても批判するにしても、顔を真っ赤にしてはダメですよ。


単に、ウェブというものがどうやら人間らしさというものを少しずつ持ってきてるような感覚になっているのではないでしょうか。

人間は常に成長と安定を求めていますよね。
成長の無いものにはほとんど興味を示さない。

ウェブってのは、最初は単なる道具に過ぎず、一部の人間を除いてほとんど興味を示していなかった。

コンピューターに知性なんて宿すことなんてできないですから。
人間の脳をアルゴリズムとしてコンピューターにしようとすると、実現不能といっていいほど途方もないスペックが要求されるわけです。

それが知的生命体と呼ばれる所以です。

ウェブはスペックとしては足りないにしても、ある方法で人間に近づいてきている気がします。

その方法とは、

データベース

と考えることができます。

人間の行動をスペックで表すことはできない。
しかし、

全ての情報、例えば人間でいうと行動パターンや思考回路、そういったものを莫大なデータベースとして保存することで、知的生命体とはなれないにしても、それに近しい存在になろうとしている

気がします。

人間の手によって。
しかも、データベース保存は、研究者だけでなく、インターネットを使う世界中の人間が協力することができる、知らず知らずのうちに毎日毎日。
自分達の思考や知識をウェブというデータベースに落とし込んでいっている。
人間の知性は今、ウェブという世界に知らず知らずのうちに、強制的に取り込まれつつあるんですよね。

そして、ここで重要なことは、

そのデータベースからどのように必要な情報パターンだけを抽出することができるか

につきます。

この考えに至ったことが、ウェブの成長としてバージョンが2.0に上げて呼んでもいい、という考えに繋がったのだと思います。

どうやら人間は、成長するものに対して、敬意を示す傾向があるようです。
WEB2.0とはその表れではないでしょうか。

しかし、人間にはコンピューターのようにデータベースを完璧に保存することができない。

このウェブ2.0の大きなテーマである、膨大なデータベースからの情報抽出が完全に実現できたとき、ウェブはとてつもなく巨大な知的生命体として生まれ変わる可能性があるわけです。

誰かが、世の中に対して自動的にデータベースから意味のある情報を抽出し実行するようなプログラムを作ってしまうと・・・・・

これは面白いようで、とても怖い話ですよね。

そして、人間はその危険性に無意識のうちに気づいているのではないでしょうか。

意識的には、ウェブに自由を求めている。
しかし、無意識のうちに、人間を超える存在になることに恐怖して、規制をも求めている。

ウェブ2.0の本当のテーマとは、ここにつきるのではないでしょうか。