今や当たり前のように人間のそばで生きるウェブ。
これから先、この環境の中で人間が目指す生き方はどうなっていくのかを現時点で考えてみた。
これまでは、人々は自分の興味のないこと、苦しいことでも我慢し、それなりに苦労し努力をして生きてきたように思う。
極端に言えば、一般的に平凡な暮らしを送っている人は、生まれた瞬間から自分の生き方がほとんど決まっていて、少しの変化に対する代価はそれに見合わないことが多いように思う。
しかし、ウェブの普及によってありとあらゆる情報や世界が現れてきたために、人間はあらゆるこんなんを解決して前に進むというよりは、新たなものを見つけ「迂回」することが容易にできるようになるのではなあだろうか。
そして、進むべき道は既存の道ではなく、あらゆる情報をもとに見つけ出した新たな道や、新たに作り出す道ではないだろうか。
今は、塀をこえて道を選ぶ人間はなかなかいないと思う。
例えば歩いていて、綺麗に整備された道がまっすぐに広がっていれば、大抵の人間はまっすぐ行くであろう。
しかし、塀の向こうに自由に使うことのできる自転車があることを知っていればどうだろう。
人間は塀を乗り越え自転車に乗り、楽してその道を進むだろう。
それを知り得るのがウェブなのだと思う。
無理にリアルとウェブを分けることをせずに、ウェブでの自分を、自分という主体よりよく成長させる一部として、考えてみてはどうだろうか。
これから先、人間はウェブの存在により、より効率よく自分が居心地がよくて好きなこと、というものを取捨選択してもっと楽に生きることができるように思う。
人間やりたくないことも苦労してしなくてはいけないこともある、と言われるかもしれないが、こういった行為がマイナスになるとは思わない。
なぜなら、人間は多様性をもっていて、色々な分野に熱中できる人達がいる。
そういったモチベーションを持てるのは、やはりそれが好きだからであり、ありとあらゆる分野をそういった人達が存在することで、今の社会で嫌々やっていて保たれている社会よりは、本当の意味でよりよい方向に導く力を持ち得ると思う。
結局最後のところは、その分野に対する熱意が決めることが多いように思う。
こう考えると、全体としては皆が皆したい分野を探し見つけ、それをする方がよりよい世界になるように思えてならないのだ。
苦労することを否定するわけではない、ただ今の人々がしている苦労というのは、本当に苦労した後に得られるものがそれ相応のものになっているのだろうか、そしてその苦労こそウェブによっていい意味での苦労になり得るのではないだろうか。
そこを今一度考えてみてはどうだろうか。