オープンソース対大企業

今や世の中の建築物としては、最も複雑といってもいいソフトウェア

そのソフトウェア開発において、最も優れていて複雑なものが出来上がる場は、今や大企業ではなくなってきた。

そう、それは中央管理機能などは皆無といっていいほどの、何かの使命感にかられた世界中のプログラマーがウェブ上で集まり、できてしまったバーチャルな組織、オープンソースである。

(オープンソースとは組織ではなく、開発される一種の仕組みであるが、大企業と対比させるためにあえて組織という扱いにしている。)


これまでソフトウェア開発といえば、根底部分からきっちりと計画が練られ、製品戦略から工程から何から何まで細かく練られて初めて、ソフトウェアとして素晴らしい物が生み出される、というのが常識だった。
そしてその核となるソースは最重要機密事項の一つであった。

しかしオープンソースはそれをウェブ上で公開し、興味をもったプログラマーが自由に手を加えることができる。

こんなことは、非常識極まりなく、1999年まではほとんど相手にされていなかった。

しかし、年を重ねていくうちに、無視することができなくなるような作品が作り上げられてしまったのだ。

Linux

OSといえばwindowsという時代に、linuxの存在はその作りの素晴らしさによって、一石投じることになった。

この成功がこれまでの常識を完全に覆してしまったのだ。

それからというもの、大企業が緻密に計画されて出来上がるソフトウェアよりも、自らの高いモチベーションで優秀なプログラマーが管理者のいない中並列して作業に取り組むオープンソースの方が、質の高いものを生み出すことが多くなってきている。

「司令塔がいなくても、優秀な人材が自らの高いモチベーションで結びついたとき、解決すべきものが見つかったとしても、それらの情報を共有すると、誰に指示されることなくそれをどんどん解決してしまうことがある」ということが、オープンソースではよくいわれている。

ソフトウェアに関してバグが見つかっても、オープンソースでは誰かがそれを勝手に直してしまうのだ、それに対する見返りを求めるわけでもなく、見返りがあったとしてもそれは物理的なものではなく、その時だけの名声であったり。

優れたプログラマーが管理者のもと、大規模で大量に資金が投入されて作られるものより、無償で給与もなく自発的なものだけで、管理者のいない自由な状況で作られるものの方がなぜ素晴らしい作品が生まれてしまうのだろうか。

気の合う友人と、何か計画的に旅行をするよりも、無計画に好きな場所で語り合う方が楽しい時がある。

そりに近いものを感じてしまうのは僕だけだろうか。