※城崎の情緒あふれる町並み
小さな頃から、生きているってどういうことなのか、ということを兄弟でよく話しあっていた気がします。
自分が自分であること、死んでることと生きていることの違いはなんなのか。
ようやく今になって、生命科学的な意味で納得できた話があったのですよ。
ウィトゲンシュタイン哲学のような意味では、全く理解できていませんが。
生命科学史において、孤独を貫いた天才科学者シェーンハイマーはこう言っています。
「生命は動的平衡にある流れである」
と。
「ウェブの歴史は人類の歴史の繰り返し」という観点から色々勉強しています。2014年までの人間とウェブの未来の旧ブログです。
※城崎の情緒あふれる町並み
小さな頃から、生きているってどういうことなのか、ということを兄弟でよく話しあっていた気がします。
自分が自分であること、死んでることと生きていることの違いはなんなのか。
ようやく今になって、生命科学的な意味で納得できた話があったのですよ。
ウィトゲンシュタイン哲学のような意味では、全く理解できていませんが。
生命科学史において、孤独を貫いた天才科学者シェーンハイマーはこう言っています。
「生命は動的平衡にある流れである」
と。
※本当に綺麗な白浜の夕暮れ
先日、ある人と話をしていたとき、こういうことを言っていた。
「英語を学ぶことによって、なんだか思考の幅が広がった気がするけど、気のせいかなぁ」
これは、非常に興味深い話でした。
思考をするために、言語が使われていて、それが思考の本質であるならば、違う言語を学ぶことで思考の幅が広がるのではないか、と思ったわけです。
そこで、あれこれ調べてみると、こんな記事がありました。
※鳥取の日本有数の綺麗な海岸
ある日、僕の研究を指導している教授が、こういう持論を展開していました。
「コンピュータにプログラムで問題を解かせるということは、本来は人間が手書きでその問題を解けないといけない」
という持論だった。
僕は、この意見に対して、「それは違うよね」っと思ったです。