「論より詭弁」

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※去年の夏に行った大宰府、大雨だった


最近は、読書をする機会が多くて、おお?って思うことがあるから、カテゴリーに「読書」を追加しました。

自分が、ほぉ?って思ったことや、なんでだろぉ?って思ったことを書き綴っていけたらな、と思ってます。

で、今回は「論より詭弁」っていう本を読んでの感想を、憲法の勉強をしてる方と話したときの会話を簡単な書評として紹介します。


青が僕です。

論より詭弁読んだが、良著だった。

そうかw

彼が言いたいことは、結局、「論理的に考えると、人間性ってのが無視されるから、それを詭弁というなら、俺は詭弁を使う」、っていうような話やった

それは深いな

なんかいい例で、

くわえタバコの二人A・Bが出会ったときに、

Aが「くわえタバコはよくないよ」

って注意して、

Bが「お前も吸ってるやん!!」

ていうたら

Bが詭弁

確かに

相手の行動は無関係だしな

そういう解釈は論理的に間違っていてっていう。

ていうか、なんていうか

論理的に考えるってことが、

いかに難しいか、んで論理的なだけじゃだめってことを学んだよ

だろう

聖書は詭弁の塊みたいなもんらしいしw

そらなあw

まぁ、人間である以上

論理的であることは、間違いであることが往々にあるって本だった

詭弁はそのへんを理解させてくれるよな

「お前が言うな」は非論理的

だが、人間絶対思ってしまうしな

人間である以上、筆者は論理的であることよりも、相手を「説得」させることに意味がある、といっていたな

弁護士もそういう仕事だね

まあな

論理的に最強の人が最高の弁護士ってわけじゃなさそうやし、

説得する力がある人がやっぱ最高なんだろうね

むしろ、巧みな詭弁が最強で、そのためには、論理的なだけではだめだと。

詭弁であることと論理であることが分かって使えるとかなりいいねぇ

よいな

しかし、おれは論理的でありたい

だから学者を目指すんであって

筆者が、詭弁と呼ばれることも、論理的といえることはよくあるっていってたよ

タバコの話だと、

相手に注意するなら、自分が同じことをしてる場合、まずは自分の行いから説明する義務があって、

こういう状況では、意見に正当性を持たせるには

優先すべき事項だ、って考えることもできて

っていうようなね。

正当性はもちえないわな

論点のすりかえじゃなくて、論点の移行といえばいい、とかw

いやいや

法学もそうだが、移行させる前に、ひとつの論点を考える必要がある。

ひとつの議論にあらゆる角度から、理屈を持ち込むが、それによって

最初のもっとも根本的な論理的決着が見失われる。

しかもそのことにみんな無自覚

だから詭弁だらけ。

今見直したけど、

「自分が悪をおかしながら他人の悪は厳しく糾弾する、その不公平さを攻撃しているのである、私にとっては、それがタバコを吸うべきかどうかの是非を問うよりも優先すべき事項だと考えられる」

ってさ

詭弁の定義も難しいみたいだしねぇ

その例はすでに論点がかみあっていいない場面やな

注意の内容の真偽と内容の正当性の問題の二つの主張になってる

内容自体と正当性は区別して議論されるべき

まー世の中絶対混同されるがねw

む、けど内容の正当性の問題の是非によっては、そこで話が終わる可能性もあるのでは?

著者がいうには、

論点自体が、特定の論者によってきめられたものだし、

その論点を一貫する必要性があるのか、って問題もあるし、

むしろ、特定の論者が言う論点を一貫させて、

ほかの論点に対する主張を、詭弁だということこそが、

詭弁的議論ではないか、っていってはるわ

おもろいw

俺はもっとがちがちの論理本を読んだので

今の例なら、二つの論点があって

たとえば殺人鬼が愛をとくみたいな

お前が言うことか、という論点と

愛の内容と区別して、

どちらが包摂関係にあるかを判断して

より優先度の高い論点を決着つけるのが

論理的

この場合、殺人鬼がいっても正当性はない

と結論づけても、

なおも愛の中身は正しい可能性があるから

なるほど

正当性の話はしなくてもよいという結論になる

最初から愛にの中身だけ考えればよいと。

へーー

タバコの場合は、お互いが同じレベルのことをしてるってのが、関係しそうね

そうね。

それは論理的に関係ありそう

法学はゆるいよw

まさにお前が言った

論理的であっても正しくない、みたいな

人間感情に流れるのは嫌でも簡単やから

うん、

我々は論理的であろうではないか。

だから、なんていうか、弁護士の役では詭弁が必要で、

そのベース部分を作る学者は、基本的に論理的であることが重要やね

弁護士がその論理に基づいて。

だな

どれだけ、人間性とか詭弁を織り交ぜられるか。

どっちも人間である以上、どっちもむずかしいだろうな。

その本面白そうだな

面白かったよ、俺ってば論理的がなんであるかとか、微妙にはきちがえてるとこあったしね

そうなの?

人間的であることも、論理の一部と思ってたけど、そうじゃなかったし。

己を省みることができるのは良いな

そうそう

論理は唯物論的で

人間性とか精神性とかを切り捨てて成り立つ

そうみたいだね

だから、人間主義とかから科学批判がなされる

なるほどね

「「論より詭弁」」への3件のフィードバック

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